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Explorer's Voice 〜先人の知恵〜
Vol.03
株式会社日進研
森 貞孝 さん
2
全ての事業は
いつでもベンチャー
2.全ての事業はいつでもベンチャー
ところがその後、次男の健生さんが
お父さまの会社を継ぐわけですよね。
それでは健生さんにバトンタッチして、
経緯を教えてもらえますでしょうか。
はい。もともと私は大学在学中から、友人とゲーム会社を起業して3年ほど運営していました。私も兄も幼い頃から父がパソコンでいろいろ作るのを見ていて、プログラムの世界にはまり込んだようなところがありましたので。
父の影響でパソコンに親しむ中で、小学生時代から購読していたプログラム投稿誌があったんですけれども、その出版社が実家から電車で10分ほどの場所にありました。当時は何かとオープンな時代で学生時代からそこに出入りさせてもらっていて、大学生になると同誌のライターをしました。
当時はまさにコンピュータが日進月歩で進歩した時代で、次々に登場する新しいものを吸収させてもらいました。業界全体に「物事はずっと同じ」という意識がなく、今あるものは自分たちの手で改善できるという意識にあふれていました。そういう世界に触れていたことが、今の自分を形作る上で非常に大きいものがあったかと思います。

それで仲間と興したゲーム事業も順調に推移したんですけれども、誘われて通信企業の研究職に移りました。
そうして30歳になろうという頃、父が長くやってきた会社を残したいなという気持ちが出てきて相談したわけです。もっと年を取ってからだと家族の生活などいろいろリスクを考えてしまう。ですから30歳という年齢は自分にとって、とても重要でした。
ただ少子高齢化が進んでおり、従来の目線で塾産業の将来を眺めると、どうも明るいとは言えないかもしれない。こういった状況から父が作った会社という枠を借りて、全く別の事業を自分で興す。そういう形にしたわけです。
今でいう「ベンチャー型事業承継」の走りですよね。
親が築き上げた財産をベースとして、全く異なる形態の事業を
展開するという、通常のベンチャーと事業承継の掛け合わせです。
まさにその成功事例のように見えます。
普通、事業承継というと「社長という立場」を引き継ぐと思うんです。しかし父は「自分でやりたいようにやりなさい。机は置いておく。でも自分の食い扶持は自分で稼ぎなさいよ」ということでした。そこで会社という枠はそのままに、社内ベンチャーのような形で2002年にソフトウェア事業を立ち上げました。
とはいえ、最初はやはり状況が厳しかったですね。父からは「這いずり回ってでも自力で頑張って、3年で軌道に乗らないならサラリーマンに戻れ」と言われました。それができずに脱サラしたってつらいだけだぞと。

そうして自分なりに苦心して事業を進めて、人を雇えるようになって、その数もだんだん増えました。きっと父は、「会社をゼロから作る感覚」を伝えたかったんだと思います。困ったことがあって相談しても「がんばれ」と言われるだけ(笑)。今思えば、父の目からは「相談に乗らなきゃいけないほどの内容」じゃなかったんでしょう。
事業の立ち上げというものを合理的に考えると、素晴らしい企画を携えた人が、投資を集めて早く形にするのが一番いいと思います。でも自分は真逆でした。合理的な理論はもちろん大事ですが、その上にあるエモーショナルな部分にこそ価値があるという考え方もあるはずです。そこがなければどれだけ優れた企画も実現できない。
ですから自分が事業を立ち上げて何とかなったのは、やると言ったからにはやるんだと意地になれる若さがあったから。また意地になり続けられたのは、父が甘やかさなかったからこそだと思います。
それで5年くらい経ったところで「社長をやれよ」と言われて、社長職を引き継ぎました。もし僕が早々に社長として父の事業をそのまま継承していたら、おそらく今頃大変な思いをしていたのではないか……と思います。

ただ、結局、事業って全てベンチャーだと思いませんか?
何百年も同じことしかしていない企業なんてまず存在しない。どれだけ上手く伸びた事業も、いつか縮小して新しい何かがとってかわっている。どんな企業も、毎年新しいことを手がけているはずです。会社とはそういうものだし、現在は特に新しい仕事がどんどん生まれている時代です。
そう考えれば、ベンチャーだからどうこう言うわけでもないし、私はただ父の厳しさに助けられたというだけです。当たり前に給料をもらっていたら、自分はとっくにダメになっていたと思います。
日進研の沿革によると2007年に事業部制を導入し、
あらたに「ソフトウェア事業部」と並ぶ
「教育企画事業部」を立ち上げています。
これはどういったものなのでしょうか?
ゲームと教育は異なるように見えて、とても親和性が高いんです。現に、教育をテーマにしたゲームは昔からたくさん存在しました。
ソフトウェアはそれ自体が目的ではなく、何らかの目的を叶える土台です。例えばそのひとつがゲームで、他に教育があってもいい。父は教室での対面授業があってこそ教育という考えですが、多くの人に伝えるならソフトウェアをベースにした教育もある。要はコンテンツの作り方次第なんですね。

現在、中小塾では新たなシステム構築の余裕も少ないまま新型コロナウイルスの影響で授業もままならず、大変なご苦労をされていると聞きます。私が携わっているソフトウェア業界はどうかというと、元々リモートワークの素地も実績もあり、むしろどんどん業績が伸びています。その視点から教育という業界に貢献できる方法を考えたい。
現在、塾のリアルな現状をこまめに聞きながら、複数のプロジェクトを動かしています。
経営者時代と変わらず忙しくされているお父さまですが、
セカンドライフをどう見られていますか?
セカンドライフになってないですよね(笑)。きっと父から仕事を取り上げることはできません。ずっと周囲から頼りにされて、いつも頼まれごとをしているからです。85歳になっても、いろんな人から相談をされるなんて、ものすごく幸せですよね。父が元気なのは人と話し、文章を書き、という毎日だからじゃないでしょうか。
かつては子供心に反発心がなかったと言えば嘘になります。しかし自分が経営者となり、そして学習塾業界にも触れて、父がいかにエキスパートであるかを思い知りました。
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